「教育」学校編

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では、教育は学校で行われるものだが、

日本は「ルール」原理主義が行き過ぎだと思う。

大家越前ではないが、その場に応じた判断ができないことが多い。

「ルール」があると、実はみんな安心する。

つまり、あまり物事について深く考えない。

したがって、「教育」にならない。

それは「ルール」があるという枠の中にるから楽だからだ。

しかし、実際の現場では、もう崩壊が迫っている。

ひとえにルールに頼り、物事の本質について考えず、思考停止になったからだと思う。

「型破りな教師」を抑えるためにも、ルールがあるが、あれなんか、逆効果も良い方だ。

「坊ちゃん」みたいな先生をみんな求めているのに、赤シャツが幅を利かせている。

明治の頃からそうだから、国民性なのだろう。

つまり、生徒を一箇所に集め、指導するというスタイルがダメなのだ。

本当に日本を復活させたいなら、まずは学校教育の解体が必要だと思う。

ある先生は「無駄の塊」と言っていた。

いづれ、子供たちは集団になる。

しかし、学業に集団は合わないのだ。

少人数指導といって、数、英はクラスを分けている。

つまりそういうことだ。

日本という国の下地が、「治安の良い頃」だったら、

寺子屋制度が良いと思う。

江戸(徳川)のやり方のほうが生徒の適性を観れる。

子供は集団を作るとボスザルを作る性質があるから、なるべく少人数が良い。

(続く)