屏風と店は、拡げると倒れやすくなります。

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『商人』 永六輔著 岩波新書から

また

「かくまでも

醜き国なりたれば

捧げし人の

ただに惜しまる」    ある戦争未亡人の方の歌(故石原慎太郎氏が国会にて紹介)

確かにそうだと思う。最近、日本がおかしいのはあまりにも商売のやり方がおかしいせいもあるかと思う。商人の悪口を言うつもりはない。集団心理としてそういう世の中になっていると言う意味だ。

もともと数学は商売には縁のないものだった。それをマーケティングに用いたり、プログラミング教育させたりと「役に立つ」と言う前提で学び始めている。それが間違っている。「役に立たないかもしれないけど、真剣にやるから尊い」と言う理念を忘れている。武士階級や西欧の貴族が命をかけた学問なのである。

確かに足し算や掛け算等は、読み・書き・そろばんのように必要だが、あくまでもそれは算数だ。ゆとり教育によって完全に中学校の数学も算数化した。それに慣れたら、中学数学も難しく見えるだけだ。実質、高校から数学が始まっていると言えると思う。その分、総合的な学習の時間や◯◯教育など、教育課程を広げ過ぎているのが学校の現状だ。公務員だから倒れることはないだろうが、教員は倒れ掛かっているのではないか?杞憂だが。

ある歯医者に通っていたら、掲示板らしき場所にあらゆる治療法が羅列し出した。ついには私にも声がかかり、1回45万円ほどの治療を受けませんか?ときた。ある医師に相談したが、「胡散臭い」とバッサリ答えられた。私の知識では答えられないから相談したらそんなものである。ここでも商売を広げているのがわかる。

士農工商は今では違うというのが歴史界だが、武士階級が金銭を低く見ていたのは事実である。

さて、年をとってくると「利他」の心が大事だとつくづく思う。人の幸福のために働きたいし、喜べる人間でありたい。それが自分の幸せでもある。そこまできたら、長く生きてきた甲斐があったなと思うのだろう。私なんか、まだまだだが、心掛けだけは保っている。