出典 春宵十話 岡潔 光文社文庫より
『私の友人に松原というのがある。三高を一緒に出て京大の数学科にともに学んだ。二年の初めに幾何の西内先生にヘルムホルツ−リーの自由運動度の公理を教わって感動し、(西内先生はそのとき、「ナマコを初めて食ったやつも偉いが、リーも偉い」と言われた。)リーの主著「変換群論」を読み上げるのだといって、ドイツ語で書かれた一冊六、七百ページ、全三冊のその本を小脇に抱え、かすりの着物に小倉のはかまをはいて、講義を休んで大学の図書館に通っていた。この図書室はみんなが勉強していて、その空気が好きだからといっていた。講義を聞きに通う私とは大学の中のきまった地点で出会うのだが「松原」というと「おお」と朗らかに答えるのが常だった。
この松原があと微分幾何の単位だけ取れば卒業というとき、その試験期日を間違えてしまい、来てみると、もう前日すんでいた。それを聞いて私は、そのとき講師をしていたのだが、出題者の同僚に、すぐ追試験をしてほしいとずいぶん頼んでみた。しかしそれには教授会の承認がいるなどという余計な規則を知っていて、いっかな聞いてくれない。そのときである。松原はこう言い切ったものだ。
「自分はこの講義はみなきいた。(ノートはみなうずめたという意味である)これで試験の準備もちゃんとすませた。自分のなすべきことはもう残っていない。学校の規則がどうなっていようと、自分の関しない事だ。」
そしてそのままさっさと家へ帰ってしまった。このため当然、卒業証書はもらわずじまいだった。
理路整然とした行為とはこのことではないだろうか。もちろん私など遠く及ばない。私はいく度この畏友の姿を思い浮かべ、愚かな自分をそのつど、どうにか梶取ってきたことかわからない。』